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やっぱり鉄分の濃い日々
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2010年5月29日
■774.北陸本線を更に西へ
糸魚川から再び554Mに乗車して西を目指します。
北陸新幹線開業前とはいえ北陸本線は有数の特急街道。何度か「はくたか」の通過待ちをしながら金沢へと揺られていきました。

西入善の駅名標。ちょうど座っているところから撮影しやすい位置で停まったため、パチリ。こういう時でなければ、まず撮影する機会が殆どないので良い記念になりました。

富山の手前で見かけたキハ58。あれほど沢山いたキハ58系も現在定期運用を持っているのはこの高山本線用の4両のみで、あとは臨時列車・波動用として残されているのみで、全廃の日も遠くないと思われます。
それにしても、この塗装を見かける機会がぐっと減ってしまいました。

金沢に着いた後は1時間ほどの休憩を挟んで再び普通列車に揺られ、宿を取ってある福井に着いたのは18:40頃。その後ケータイ国盗りで勝山地域を盗るためにえちぜん鉄道に乗り、勝山まで往復した後実際に宿に入ったのは21:30頃。
長い1日が終わりましたが、翌21日も長い1日のためこの日は早々に就寝しました。
ゆず posted at 23:24 | Category : JR西日本
2010年5月27日
■773.糸魚川にて
直江津から乗ってきた554Mは、糸魚川で10分小休止となります。金沢までまで長いので適度にリフレッシュしないと息が詰まってしまいそうなので、ホームに降りて深呼吸してみました。
前に何度か書いたように、この日は大糸線の南小谷~糸魚川間にてキハ52を使用した「キハ52ありがとう号」が運転され、パニックが予想されるため遠回りしてやっと糸魚川に到着しました。ここからが本来の考えていたコースです。

大糸線ホームにはちょうど「キハ52ありがとう号」が着いたばかりのようで、どの位置も大勢の人で賑わっていました。先の改正でキハ52は老朽化のために引退、岡山から転属してきたキハ120に交替していました。
大糸線で使用されていたキハ52はいずれもトイレ撤去・冷房化・ワンマン化が行われています。

キハ52 156の先頭車側から。ここも多数の人がいて、このように撮影するのが限界でした。

キハ52 115。30年前頃(1970後半~1980年初期)まで、キハ40系が登場する辺りぐらいまではこの朱とクリームのツートンカラーでした。

キハ52 125。上記の115よりも更に前の世代が採用していたツートンカラー。初めて見た時は横須賀線色?と思ったのも事実。

キハ52 156。国鉄時代からJR化後しばらく各地で独自の塗装が出るまで、一般用気動車はこの首都圏色(通称タラコ色)を纏っていました。
キハ52の大糸線での定期運用は既に終わっていますが、これから先夏にかけて臨時列車として115と156を使用して運転されるようです。しかし、それらの運転が終われば115と156は廃車されることが決まっています。
115は岡山支社内の津山駅構内にある「旧津山扇形機関庫」で保存されることになりました。

糸魚川駅構内にあった赤レンガ車庫。かつては大糸線用車両の車庫として使用されていましたが、構内のほとんどが北陸新幹線用に転用されることになっており、支障するために解体されることになりました。保存運動がおきたようですが、移設に莫大な費用がかかることから、車庫の一部(前面の3連アーチ形の入り口含む)が糸魚川市に無償譲渡されたうえで糸魚川南口周辺で保存されるようです。

糸魚川まで乗ってきた554M。列車に戻ると程なくしてドアが閉まり、再び西を目指しました。
ゆず posted at 23:23 | Category : JR西日本
2010年5月23日
■772.交直流急行型電車で北陸本線を西へ
直江津からは進路を西へ。ここからは北陸本線で富山・金沢方面を目指しました。

直江津からの北陸本線はJR西日本の管轄であるため、北陸本線の隣の駅である「谷浜」は青い線で示されています。

直江津でしばらく待っていたらやって来たのは539M。折り返し554Mとなるようです。てっきり419系か413系あたりだろうと思っていたので、475系とは以外でした。

座席の色が変わってしまっていますが、基本的(?)なところは昔のままで嬉しくなりました。最近ではしなの鉄道の169系が昔ながらの湘南色に一時期だけ戻りましたが、車内はボックスシートではなく急行「かもしか」に転用された時に新幹線から流用された簡リクになっていますので、個人的にはこちらの方が急行型っぽくて好きです。
ボックスシートを確保して出発の時を待ちました。

幾つかの駅に止まっては発車、を繰り返していきます。有間川の駅名標。
この辺りは特急で一気に通過していくことが多いので、このように各駅に止まって駅名標を写せるというのも各駅停車ならではでしょうか。

梶屋敷を出て交直切替のために車内の電灯が一旦消えてまたつく頃から工事中の北陸新幹線の高架橋が左に寄ってきて、まもなく糸魚川に到着しました。
ゆず posted at 23:49 | Category : JR西日本
2010年5月10日
■771.直江津にいた209系
話を3月連休の旅行に戻します。
長野から妙高3号で直江津に着くと、ホームの端から見慣れたこんなものが見えました。

1月で京浜東北線から姿を消した209系ですが、現在は房総地区の113系や211系を置き換えるために転用改造が進められています。
しかしながら、工場の改造能力にも限度があるので改造待ち中の編成は、あちこちに疎開留置されているようです。ここ直江津もその1つです。この他に私個人が見かけた場所としては桐生。ネットの他のブログを見ると遠くは青森や高萩などにいるそうで。

EF510とのツーショット。赤いEF510は日本海縦貫線でしか見られないものなので、ここが遠く東京の離れた地ということを実感させられました。
ここで昼食を摂った後は北陸本線を西へと向かいました。
ゆず posted at 00:58 | Com. [2] | Category : JR東日本
2010年5月 9日
■770.西武2071F、東急車輌へ?
3月連休の旅行記はちょっと一休みしてこちらを。
7日に帰宅途中、小手指車両基地の奥の方に反射板を付けた2000系らしいのが見えたので、翌8日に自転車で行ってみたらこうなっていました。

甲種の準備を終えた2000系8連らしいのがスイッチャーに繋がっていました。その奥には自連を付けた263Fらしいのが止まっていました。

飯能・西武新宿方の先頭車全体を撮影してみます。更新されると戸袋窓が埋め込まれるので、この姿が見られるのは発送するまでの僅かな期間だけです。

スイッチャーとの連結部分をアップで。

何とか編成番号が読めないかと精一杯ズームしてみたら、2071Fであることが判明。

今度は自連を装備した263Fをアップで。この編成は甲種の牽引を小手指?から新秋津まで担当することになっています。今まで牽引を担当していたE31型電気機関車が老朽化のため引退したことに伴って、任務を263Fが担当するようになりました。
263Fは登場してから約1年後、ようやく本来の任務に就き始めたようです。
んで気になるのが東急で更新され、戻ってきた時の配置先。昨年は池袋線配置の2077Fが南入曽車両基地で更新の準備をしたうえで東急に向かい、戻ってきたら新宿線の方に転籍していたという例がありますので、現時点では予想は不可能です。ただ、今回の2071Fは小手指にて甲種の準備をしていますので、池袋線配置の可能性もあるかと思われます。
でも、今年度の30000系新製車の配置状況によっては新宿線に転属というのも否定できません。
前例から推測すると、出場は9月ぐらいでしょうか。
ゆず posted at 23:55 | TB [1] | Category : 大手私鉄:西武
2010年5月 6日
■769.妙高号で直江津へ
朝飯を摂った後は、妙高号で直江津へ向かうことにしていました。
ちょうどその頃、大糸線北部では知人が撮影スタンバイしていると、或いは直江津から北陸本線で直江津へ向かっているとの知らせを受けていましたので、メールの返信したりしつつ時間が来るのを待ちました。
長野駅構内をぶらぶらしていると、こんな駅名標を発見。

長野と言えば善光寺。ということで善光寺をバックにした派手目?の駅名標が設置されていました。良く見ると字が微妙に読みづらいような? 背景の色もあるのでしょうけど、難しいところですね……

突然やって来たEF64-1000の重単。北長野から篠ノ井に向けて回送途中でしょうか?8770レの可能性もありますけど、はっきりとしたことは分かりません。愛知機関区所属の1040(前・原色)+1043(後ろ・更新)でした。
先のダイヤ改正でEF64は愛知機関区に集約され、これまで高崎機関区所属だった1000代は全機愛知機関区に転属となっています。このために1年少し前から愛知機関区配置だった1040と2月までは高崎所属の1043の重連が実現しています。

妙高3号は189系あさま色6連での運転でした。長野新幹線開業後、これまで在来線の「あさま」を担当していた一部の189系は編成を組み替えて快速妙高号に転用されました。その後停車駅が増えて、上りの2号を除いて各駅停車として運転されています。
それでも指定席が設定されているのは特急車が使用されているからでしょうか?
長野始発ということで指定席は確保しておらず、列の一番前に陣取っていたので、自由席の好みの席を悠々確保できました。

長野を発車してしばらくは右手に長野総合車両センターが広がります。工場部分(旧長野工場)には4扉車の製造によって編成を外れた山手線用のサハE230が数両連なって留置されていました。その後は解体されると思われ、製造後わずか5~6年で廃車になるというのは勿体ない気もしますが、他に転用先がないので仕方がないのでしょうね。

こうしているうちに直江津に到着。直江津まで信越本線を長野から辿ったのも実に久しぶりでした。
ここからは進路を西へ。
ゆず posted at 22:13 | Category : JR東日本, JR貨物
2010年5月 5日
■768.松本周りで長野へ
先の投稿より間隔が空いてしまい、申し訳ありませんでした。ではNo.767の続きをどうぞ。
白馬で一休みしたあとは松本に向かうことにして、南小谷始発の5350Mを待つことにします。ここで乗車券を買い直そう……と思ったら財布の底から青春18きっぷが出てきました。新宿からそれを使ってりゃ良かったんだけど後の祭り_| ̄|○
仕方なく青春18きっぷに日付を入れてもらって、5320Mを待ちます。すると信濃大町方からこんなのがやって来ました。

どうやら冬期は霜取りも兼ねて、折り返し南小谷2本目の上り列車用として送り込んでいるようです。画像の先頭車はクハなので、パンタを上げて限定運用をかけているようです。

クモハ側から。こちらが本来の集電用のパンタです。313系東海車のようにクモハにパンタを2基載せるという方法もあるのでしょうけど、画像を見る限りでは発電ブレーキ用の抵抗器が屋根に載っているので、クハ側に霜取り用パンタ搭載ということになったものと思われます。

5320Mに乗り込み、まずは信濃大町へ。E127系でした。白馬駅の時刻表を見る限りでは普通列車は全部ワンマンでしたので、通常は115系が白馬や南小谷まで入ることはないものと思われます。
上の画像は車内から見えた北アルプス。どこの山頂かは……詳しい方にお任せします(^^;

40分ほど揺られて信濃大町に到着。信濃大町の駅名標がLED発光のタイプに変えられていました。最近は都内でも続々と交換している駅が出ていますのであっという間に広がりそうな気も……。
信濃大町で乗り換えた塩尻行(1522M)は115系の3連でした。信濃大町を発車した後は適度な揺れでだんだん夢の世界へ……気がついたら松本の構内でした。塩尻行だったので危ないところでした(汗)
松本ではすぐに長野行が来るのでそれに乗って長野へ。朝食は長野で取ることに決めて、とりあえずは缶コーヒーで眠気を少しでも覚まそうとしました。でも睡魔は強かった。
気がついたら姨捨の構内でした。スイッチバックで残るところは今では少ないので、とりあえずは最後尾から発車するシーンを連続で。

左は交換していた松本方面行。信号機が黄色に変わり、車掌が前方を注視しながらゆっくりと走り始めました。

ポイントを幾つか渡り……

左にある引き込み線の方に入ります。

引き込み線の途中まで来た後、一旦停止してから長野方面へ向かって加速していきました。スイッチバックを体験する機会は余りないので良い機会になったかな?と思います。
(普段しなので通過する方が圧倒的に多いので……)

長野に到着。白馬から直通のバスに乗っていれば7時半頃には着いていたのですけど、急ぐような旅でもないので、たまには鈍行に揺られて旅をするのも悪くはないかな、と思います。

長野駅舎。個人的には新幹線が開通する前の、善光寺を模した仏閣型駅舎も好きだったかな。
長野では1時間ほど休憩タイムを取り、ここで朝食を取りました。